親子3人の写真

   高校2年の秋、叔父の家に泊まりがけで遊びに行った私は、その家のおばあさんから小声で呼ばれました。振り向くと、手招きをしています。夕暮れでした。薄暗い仏壇の前に立ったまま、横から手を入れて、しきりに何かを探し、やがて、小さな紙の袋が手渡されました。
 「なに?」「写真」「えっ?」
 「あんたと父ちゃん、母さん、三人の写真」
私の父は職業軍人で、福岡県の糸島の陸軍に所属していました。昭和19年の暮れに、私はそこで生まれました。やがて終戦。父は郷里に引き揚げ、役場に勤務しました。
 それから3年後に、私の母は病気でなくなり、1年後、父は今の母と再婚。それから2年もせずに、父は出張中に交通事故でなくなってしまいました。
 一体、どういう写真でしょう。よく見ようと、明るい方にかざす私の側に立ったおばあさんは、事の次第を話してくれました。
 父は即死でした。遺体が運ばれた後、追って遺品が届きました。おばあさんがいくつものポケットを探っているうちに、きっちり包まれた写真が出てきたらしいのです。写真の下部にボタンの跡がついていて、どうも何年も持ち歩いたものと、おばあさんは察しました。その途端、おばあさんは今の母の気持ちを考えて、素早く懐に隠したそうです。
「死に別れの後には嫁ぐな、というやろ。かわいそうで、とうてい見せれんかった」と、おばあさん。・・・それから11年。
「あんたがもし、ぐれるようなことがあったら、わたしゃ、この写真を見せて、説教する気じゃった。だけど、もう大丈夫やろう。今日、写真を返す。父ちゃんは母ちゃんに呼ばれたんじゃろう。だけど、あんたまで呼ばんやろう。親の供養と思って、倍は生きよ。ああ、これで私も荷を下ろしたわぁ」
 写真には、両親にはさまれた生後60日の私が。静かな感動がありました。小学校入学までに二人して亡くなるのなら、生むなよな、という恨みの気持ちが常にあり、将来、自分自身が温かい家庭を築くことなど、夢見たこともなかったからです。
 それから30数年。さまざまな試練がありましたが、3人の娘にも恵まれ、ともかく生きています。
 いま思うことは二つ。もし自分が、あのおばあさんであったら、その孫が無事に成長するように見守りながら、時期を待てるでしょうか?もう一つは、幼い子供を残して、突然、死んでいかねばならなかった親の心情です。
 こんな話を聞いたことがあります。
(亡くなった親は、残した子のために、神様の前に行列を作ります。順番が来ると一つだけ、子供が幸せになるようにお願いが出来ます。そしてまた、列の最後に並びます。)
 何か一つ願いがかなう度に、私は今でも、ふっと空を見上げます。「順番が来たんだね。ありがとう」と。