三者三様の"あっぱれ"ぶり

  関ヶ原の戦いで、石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家は、負けるとわかっていながら、なぜ、あれほどの武者ぶりを発揮したのか。それを分析した徳川家康は、正義・信義・忠義であると気づき、これこそ徳川の御代が永大に続くための礎と悟って武士道の基本とした。
 三成には、正義感があった。五大老五奉行を集めて秀吉が自分の死後をあれほど頼み、家康も承知したのに、権謀術数の限りを尽くして天下人になろうとしている。その卑怯者が天下人になることは、天下の名分が立たないとして戦いを起こした。
 吉継には、信義があった。三成とは小姓時代から苦楽を共にし、茶会ではハンセン病に悩んでいた吉継がたらした鼻汁の入ったお茶を三成が飲み干すほどだった。正義のために自滅を覚悟で挑む三成に、「俺の命をくれてやる」と友情から自らの命を投げ出した。
 秀家には、忠義があった。幼少のころから秀吉に可愛がられて養子となり、「秀家を頼む」という秀吉の言葉に忠義一途に従った。
 今の世では「正義・信義・忠義」は死語になった感がありますが、人間が人間らしく生きていく基本のような気がしてなりません。



人間らしさの基本とは?