1本の電話から

 1年前,ある夏の日の夕方,一本の電話で妻の交通事故のことを知らされました.
 ひき逃げという無残なやり方で妻の命を奪った.一緒にいた5歳の息子は,ただ泣くばかりでした.
 その日から,わたしと息子の二人暮しのさみしい生活が始まったのでした.あのときのショック以来,息子は無口な暗い性格に変ったのでした.幼稚園に行っても,すみの方でぽつんと一人で遊んでいたそうです.
 1ヶ月過ぎた頃でしたか,電話をいたずらしているのを見かけたのは.といっても妻がいる頃からのいたずらで,何度も妻に叱られるのを聞いていたものです.その時わたしは妻のように叱ろうと思いましたが,息子のいたたまれない気持ちをわかりきっていた私だから,つい知らん顔をしてしまいました.しかし,110番か119番にかけられては困る.そのことを妻も恐れてきびしく怒っていたのだろう.
 私はそーっと息子を見ていた.今日はやたらとあっちこっち押しているようだ.
 「もしもし,ぼくみーくんです.僕今とってもさみしいんだ.お母さん死んじゃっていないの.おばさんはお母さんいますか」なんて話しているんです.しばらく息子の好きなように話させておきました.相手には迷惑だったでしょうが,久々に息子がうれしそうな声で話しているのを聞くと,妻が目の前にでもいるような気がしてきます.私もついぼーっと妻のことを思い出して,ふと我に返ったときは,30分も経過していました.
 「バイバイまたね.おばちゃんまた明日ね.僕必ずかけるからね」と言ってガチャンと受話器を切り,私の方へやってきたのです.うれしそうな表情でした.私は,「どこのおばちゃんと話していたの」と聞くと,「わかんない」と息子は答えました.私は,「明日電話かけるのに番号わかるの」と聞くと,「あのね,わかんない.あー,みっくんさっきめちゃくちゃに押したから覚えていない」という.もう,半ベソに変っていた.
 私はどうすることもできず,次の日,昨夜のことは忘れてくれるよう願ったのですが,やはり覚えていて,「夕べのおばちゃんに電話するのー.約束したんだもん」って泣きわめいていました.私は甘くしてはいけないと思い,泣く息子を無理やり,幼稚園に連れて行ったのでした.
 3日後の夕方,二人きりの静かな部屋にジリジリジリンと電話が鳴り響いたのです.私が受話器を取ると,なんとあの女の人でした.息子が話をしたあの女の人が電話をくれたのでした.息子が教えた番号をメモしておいてくれて,息子からの連絡がないので心配していてくれたらしい.私は早速息子に替わりました.息子はうれしそうでした.
 私もこんなことって信じられませんでした.たった30分位話をした二人がこれほど深い心で結ばれていたなんて.神に,女の人に,感謝したい気持ちでいっぱいです.息子も元気に笑う子に変っていったのです.毎日毎日,女の人に,感謝したい気持ちでいっぱいです.相手の方も,最近お子さんを亡くしてしまって元気付けられたということです.一本の電話で相手の心の傷をいやしてくれる,こんなありがたいことってないですよね.
 私は電話に感謝しています.息子を明るくしてくれたあの女の人にも・・・.

絆とは・・・心と心の結びつき